吾輩は猫の、グッズであ〜る!




ネコとイヌの一番違うところは、ご機嫌取りをしてこない
これです。甘えることはしっかり知っていますが、人間で言えば揉み手をするほどのご機嫌取りは、決してしませんねえ。

人間ほど功利的でない、ということでしょうか。
とにかく<孤高><泰然><自負>というところがいいのですねえ。
そのかわり用心深い。きわめてデリケートな動物です。
選りすぐりの<女>でんな。

かといって排他的ではないところがまたいいところです。
小さい時から共に過ごせばどんな動物とも共生できる動物です。
実は気遣いができる動物なんですね。

プラトン2008.3.14-2.jpgここのところ、猫嫌いの方は喰わず嫌いの部分でしょう?
わが家のおふたりさんも喧嘩はしますがむつまじい時はなかなかのものです。
しかし、互いのテリトリー、距離感には厳然たるものがあるんです。
ここのところも人は学ぶべきところおおいにあると思いますが……。

閑話休題。
猫好きには猫グッズ好きが多い。当然のことである。猫くんに嵌ってしまうと、猫のあれこれ何でも好もしくなる。これはもう恋人みたいなものだ。いや、恋人以上かもしれない。何せ恋人よりその想いは長続きして、愛猫はいつまでも愛猫である。
心に揺らぎはない。その信頼関係にも揺らぎはない。考えてみれば人間関係より奇跡の関係である。そこに利害関係はない。癒し関係が存在するのみなのである。

そんな愛猫と万全の関係を築いていてもなお猫グッズが傍に欲しいのはその万全をなお万全に隙間無くしたい想いもある。
完璧など永遠に追いかけていく夢みたいなものだからなのである。
夢なら見なくちゃ損とばかりに隙間埋め猫グッズに眼がないこととなる。親馬鹿チャンリンと、ご同様である。

おふたりさん そっくりグッズ良くぞ猫可愛がりといったものである。猫可愛がり過ぎ、という非難には猫を猫可愛がりせんと何を猫可愛がりせいと言うんや、ということになる。
猫グッズに嵌るのにはさらに理由がある。50前後はあるかもしれない猫種と全部生涯のあいだに、おつきあい出来ないからである。

猫種違えばおおいに風貌違い、性格身じろぎ甘え方、みな違う。
女性への浮気と同じなようで大いに違う。そこには法律も権利も義務も声高に介在してこない愛あるのみである。凄いですね。嬉しいですね。素晴らしい関係ですね。

と言える吾輩は、猫グッズかもしれない。猫のための最高のグッズ、それが吾輩である。ニャンくんはたぶん、それが判ってしまっている!のである。イニャ〜ン!

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posted by 猫ニャン at 09:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

猫科三位一体の極上生活は蜜の味!




いやあ、吾輩のもうひとつの猫、タイガースが悪徳出稼ぎ集団に惜敗しましたがな。
この世の不愉快のひとつやねん。
すぐひっかき傷だらけにするさかい大丈夫よ。一番づら、鼻につくからなあ。全チーム一丸となって悪徳優勝の阻止、これがテーマや。

毎年どこのチームやわからんようなメンバーで球界の盟主面をする朝令暮改の我田引水軍団や。純血主義なんて言うとったんはいつのことやったやろな。一番勧誘の多いうるさい新聞の断り方は今やひとことで済むねん。
「ナベツネ嫌い!」

蟻も吸い寄せられる猫.jpgその点時々は、密林の王者"虎"に変身するタイガースはまこと心躍るチームやなあ。相撲部屋とおぼしき阪神部屋と言われたり、猫になって寝そべっとる、と馬鹿にされたりするときも在りましたが、これおしも愛すべき、虎であろうと"猫"になろうと、ともに<猫科>の、美しきいきものであるし、巨人とは名ばかり、実は虚塵に過ぎん二面性とはとことん大違いや。

常勝などという天をも恐れぬ権力亡者の、金満狼藉チームとは違って、あるがままで、無謀な欲望を抱かないところ、まこと猫科そのままですやん。ほどほどというものを知っとりますがな。

近頃は敏捷性も獲得して、韋駄天赤星や鉄人金本兄貴も、いかにもしなやかさの1番と、跳躍力の4番ですやん。猫のええとこ吸収して眼が細まりますがな。

シーズンが始まって吾輩も時間を取られるんですが、わが家のパトラくんもプラトンちゃんも何度も使える室内風船飛ばしの行く先を見上げて、落ち着く先に駆けつけますのや。一緒にお祭りや。
いきなりの拍手や少々のぼやきにお騒がせ申しておりますが、ニャンくんたちもなんやナンヤ何が始まったんやという面持ちながら、猫科のお祭りやから許してくれるんやないかと思おてるんや。
私設映画館の大スクリーンに映る、悲喜こもごもの、もうひとつの映画ですやん。

そんじょそこいらにいない猫.jpg映画といえばこれはジャンルを問わず見ますんですが、最大最高の引力はスクリーンに映し出されるごひいき女優ですねん。
つまりは、美猫ですな。

それも結婚のように専属したりせんでもええし、自由自在にそのときのお相手を選べるわけですやん。嬉し楽し垂涎の仕掛けでありますなあ。
わが家に無限の余力があれば、あらゆる猫種の、そのさまざまな性格やタイプに即して、マレーネとかリュドミラとかマリリンとかジョディとかシャーリーズとかナタリーとか、その名を冠して、ほんものの美猫に囲まれて暮らしますな。

猫はオスメス関係なしにみな女優さんですがな。オスメス関係あるのは猫同士、人間の男には、猫はみな女である、というのは、これ定理でっせ。
女により懐くというのも同性のよしみなんや。
こっちの方が柔らかそう、てなもんや。
女族研究には猫が一番なんよ。

そんなこんなで猫と映画とタイガース、これある限りあとは瑣末なことや。退屈を知らんちゅうことよ。要するに吾輩も日々猫科へと、洗練の進化を遂げとるわけやな。もう洗練ここに極まれり、かもよ。
写真は、蜂も吸い寄せられる猫の蜜、ってとこでしょうな。

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posted by 猫ニャン at 08:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

せっかくの猫の日、ペットという言葉
少々は考え直した方がいいかもね!




ペットと言うと、いかにも一方的で、その相互の関係の芳醇な営みがこぼれ落ちる気がする。
むかし、TEACHER'S PETという映画があって、その日本題名が「先生のお気に入り」('58)で、この<お気に入り>というほうがまだしもその関係性を掬い上げている気がする。

ドリス・デイ.jpg(余談になるけれど、ようやくDVD発売のこの作品、ゲーブルとドリス・デイとギグ・ヤングのアンサンブルが絶妙の大人のラブ・コメディ。隠れた名匠ジョージ・シートンの手になる快作で、楽しめること請け合い!)
お気に入りであるからには、そのお気に召すこと召さないこと、好きなもの嫌いなものを存じ上げるがごとく、心配り気配りをするうちにいささかの友情も芽生え、以心伝心あんなことこんなことゆくりなく接待申し上げるままに愛情はさらに育ち、のっぴきならぬ恋愛もさこそという関係が仕上がっていくわけとなります。

吾輩の場合それが猫で、若きときよりわが懐中に猫を愛育しておれば、女心の不可思議も判り、その荒波にもまれることもないほどに、しなくてもいい空振りもなかったと感じるところの感覚が、猫には包含されていたということでありますなあ。

まことにいつのまにか人間さまを意のままに操る術、言うことを効かせようと近づいて、いつの間にやら言うことを効いてしまっている男のていたらくそのままで、なあるほどこんな風に篭絡もされたのかと、改めて合点のいく猫は天性の媚態の生きものといえるわけです。

アンジェリーナ・ジョリー表紙PlayBoy.jpgそんな視線を会得して映画女優を見ていくと、猫に似る女優ほど、もう理屈ではない自然な存在感、魅力のほとばしり、真似のできない感性で役柄を超え、古くはジーナ・ロロブリジダ、フランソワーズ・アルヌール、クラウディア・カルディナーレ、ステファニア・サンドレッリ、至近ではアンジェリーナ・ジョリーといった風に、もう名前すらが猫的な魅惑に湧きかえっておる、そんな案配ではないでしょうか。

ペットという名称ではまるで支配下にある生きものですが、うかうかとその名称に乗せられていては人生の視野も多寡が知れるというものではございますまいか。このブログのジャンルも仕方なくペットの方に入れていただいておりますが、そこはそれ<大のお気に入り>のジャンルにしてくれんとなあ。

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posted by 猫ニャン at 07:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

プレイボーイと猫に関する一考察!




猫にだってプレイボーイはいるだろうが、猫はどことなく泰然としているから、あちこち泳ぎ回らなくてはいけないプレイボーイは、若き体力のある時代の人間にこそふさわしい。

ウォーレン・ビーティはシャーリー・マクレーンの三つ下の弟で、俳優のみならず製作も脚本も監督―私見では「レッズ」('81)より「ディック・トレイシー」('90)―も、さらにはプレーボーイとしても存分の力量を果たした。
そのプレイボーイとしての成果を脚本にしたのが「シャンプー」('75)である。この時38歳。年貢もそろそろ納めようかという時期が近づいている頃。しかしやっとアネット・ベニングに納まったのがさらに時をへて55歳。

そんじょそこいらにいない猫.jpg次なるプレイボーイはご存知リチャード・ギア。ウォーレン・ビーティよりちょうどひとまわり若く、その年貢の納め時映画は「Dr.Tと女たち」(2000)この時51歳。
プレイボーイと言えばみな憧れてみるが、その実態はまことに忙しく、身の振り方をひとたび間違えば災難は怒涛のように押し寄せ、泳いでいるつもりが泳がされ、独りになるときがほんにホッとのひととき……。

猫と似ているのはそのプレイボーイのかもしだす空気の、ふわふわとした、いかにも優雅に見える、マシュマロじみた風情。
動きはいかにも忙しげな人間のもので、そんな徒労を猫はしないが、空気感だけはよおく似ている。
想像の中ではまさしく天国にいるかのゆったりとした美と憂愁のたゆたい。猫はなにごとも超越する。

プレイボーイも、最後に女という名の猫に絡めとられてしまうのである。以て瞑すべし。

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posted by 猫ニャン at 07:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

猫の時間と、ヒトの時間と、宇宙の時間。




neko's time.jpg
猫――ケダモノの苗。
人間――ジンカン、ヒトのあいだ、ヒトとヒトの間。

猫は暇さえあれば寝ている。
猫に暇もないものだが、時には忙しく行ったりきたりすることもある。
起きているときは日がな一日ゆったりと辺りを睥睨して倦まない。
毛づくろいや伸びをしたりして、時にいそしむ。

猫の時間はあきらかにヒトの時間と違うときを過ごして過ぎる。
よりゆったりと、よりひそやかに。
夜行性であるにもかかわらず、ヒトが寝る時間には猫もまた寝る。
あんなに寝たのにまた寝るの、というくらい寝つきはいい。

猫の眠りはしかし、浅く薄く、目ざとい。
時には薄目を開けて人の気配を明確にキャッチして逃さない。
別の部屋にいてもヒトの動向は、すっかり知ってしまっている。
猫の時間はヒトの時間を超える、宇宙のたゆたいの中にある。

眼を閉じ、まあるく寝そべる猫は、宇宙の中心である。
時は猫の味方であり、時は猫と共に在る。
在るという以上に、時は猫と共に居る。
猫は時を抱いて寝返りを打つ。時も抱かれて反転する。

夢の時間、法則を超える時間がゆったりと流れる。
猫には昨日もなく、明日もない。ただ永遠が寄り添う。
ヒトの間より、猫のあいだの方が、ずっと良さそうだ。
吾輩は猫とともに在る。ゆったりと嬉しい。

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posted by 猫ニャン at 04:25 | Comment(0) | TrackBack(1) | 猫族

猫在りて、夢居坐る、この猫的魅惑!




プラトン.jpgまことにニャンくんはわがままのように見えて、しっかり吾輩の動向を把握し、どうすれば吾輩を意のままに出来るか、すっかりご存知でございます。とても逆らえるものではございません。

天使の媚態、媚態の女王、人をマインド・コントロールしてしまう夢想のイキモノが現存しておられる風情であります。ゆめゆめ舐めたりしてはなりませぬ。存分に舐めさせてあげませう。

寝ながらにして吾輩の心を鷲掴みの日々であります。この魅惑に立ち向かえるのはせいぜい数名の美貌の映画女優くらいかもしれません。彼女らも元々本来的に猫の魅力をたずさえておられるからでございます。

この世のものにして、天地を跳び越えて行き来する、これは『夢』そのもののうつし身であります。しかるべく心がけたまえよ。ご同輩。

パトラ.jpgペットと言うと、いかにも一方的で、その相互の関係の芳醇な営みがこぼれ落ちる気がいたします。
むかし、TEACHER'S PETという映画があって、その日本題名が「先生のお気に入り」('58)で、この<お気に入り>というほうがまだしもその関係性を掬い上げている気がするのですね。

お気に入りであるからには、そのお気に召すこと召さないこと、好きなもの嫌いなものを存じ上げるがごとく、心配り気配りをするうちにいささかの友情も芽生え、以心伝心あんなことこんなことゆくりなく接待申し上げるままに愛情はさらに育ち、のっぴきならぬ恋愛もさこそという関係が仕上がっていくわけとなります。

ロロブリジダ.jpg吾輩の場合それが猫で、若きときよりわが懐中に猫を愛育しておれば、女心の不可思議も判り、その荒波にもまれることもないほどに、しなくてもいい空振りもなかったと感じるところの感覚が、猫には包含されていたということでありますなあ。

まことにいつのまにか人間さまを意のままに操る術、言うことを効かせようと近づいて、いつの間にやら言うことを効いてしまっている男のていたらくそのままで、なあるほどこんな風に篭絡もされたのかと、改めて合点のいく猫は天性の媚態の生きものといえるわけです。

そんな視線を会得して映画女優を見ていくと、猫に似る女優ほど、もう理屈ではない自然な存在感、魅力のほとばしり、真似のできない感性で役柄を超え、
アンジェリーナ.jpg古くはジーナ・ロロブリジダ、キム・ノヴァク、フランソワーズ・アルヌール、ステファニア・サンドレッリ、至近ではアンジェリーナ・ジョリー、シャーリーズ・セロンといった風に、もう次々に思い出される名前すらが猫的な魅惑に湧きかえっておる、そんな案配ではないでしょうか。

ペットという名称ではまるで支配下にある生きものですが、うかうかとその名称に乗せられていては人生の視野も多寡が知れるというものではございますまいか。

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posted by 猫ニャン at 17:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

男女の愛に限りがあろうと、
猫愛、これ限界を知らず。




猫はホントに天才。寝ていても起きていても、いつも魅惑の波動を吾輩に寄せて、わが心を占領しまくる!
こんなことはどんな美女にも出来ないワザでござろう。寝ても醒めても意識無意識にでっせ。それもいかなる報酬も求めずにだから、まるで比較にもならへん。

しかもその魅惑の、別にお礼というわけでもないのに、せっせせっせと、なにかお気に召すことはないかと、自発的に動き回る吾輩というわけでありやす。

これは別に男の吾輩だけではのうて、どうも猫好きはむしろ女のほうが多くを数えるようだから、これもわからん摩訶不思議。
わからんというのはその魅惑の波動が男女の別なく、むしろ女のほうはなにやら同性のよしみ、といった風情で、その親和力を身近に発揮してますます何の垣根も無いように見える。
そう見えるのは吾輩には猫すべて女、のようにしか見えないからであるな。
猫カップ.jpg
猫同士雌雄の別は当然ありつつも、吾輩と猫の関係、これはどう逆さに見ても異性関係に限りなく近い。媚態の天才=猫なのであるな。
美女の魅惑は時間経過と共に、少しずつその魅惑を褪色させていき、1年もすればその熱愛振りにもおおいに変化が生まれていく。哀しいかなこれ人の摂理。
ところがニャンくんの魅惑は延々ととどまることを知らず、果てしが無いどころか、ますますの深みに吾輩を連れ去る。いっさいの肉欲も超えて。

ことば少なく、なお百万言の心を伝える明眸を吾輩に送りつつ、互いにわがまま振りを発揮しても、一向にその関係は深まりこそすれ、ひびが入る謂れも無い。なーんたる摩訶不思議。夢不思議。天翔ける不思議……。
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posted by 猫ニャン at 12:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

猫の魅惑を知っている人は、
これを知っている!




ニャンくんといえば媚態の女王!媚態といえば女性、
これが上手くなくては、<女商売>つとまりませんね。
わざとらしくなく、絶妙の媚態で、ナルシシズムに堕ちず、自信にあふれ、見るものすべてを虜にする! これこそ媚態の鏡、極致ですね。

これが猫にはできるのですね。ぜひそばにおいて、研究してください。
巷には歩きたばこまでして男の悪弊を踏襲するだけの、性を捨てたような女性も出没しております。くわばらクワバラ。
(性を捨ててるから、女性ではありませんね。男女=オトコオンナでありますな)
いわば野良猫。
プラトンちゃん 狭き空間でも羽伸ばす
その辺の野良猫を研究対象にしても何も得られません。
何故と言って、野良猫とはホームレス、ホームレスの女性を対象に<おんな>がわかりますか?
それと同じことです。

それとそばで心を許さないと、ニャンくんは一流の<媚態芸>をいたしません。
猫は同居してみて初めてその良さが分かる!というのは、ここのところなんですね。
これ百科辞典にも出ていません、秘密なことですからね。

猫嫌い、これ、野良猫嫌いにすぎません。ホームレスではバッチイ、ですからね。
ひとたび同居を重ねると、その魅惑の媚態芸、異性の比ではありません。媚態のプロこそ、猫だったんですね。
玉も磨かずば光なし、男も女も、そうでっせ!
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posted by 猫ニャン at 21:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

ニャンとも嬉しいニュースかなあ!




猫と遊びながらコーヒーや紅茶を楽しむことができる「猫カフェ」が話題だ。2004年に大阪市に誕生したのが国内初で、今では全国に15店舗以上が営業している。自宅で猫を飼えない猫好きが、お茶を飲みながら猫と一時を過ごせるのが人気の理由という。(山田泰弘、近藤繭子)

≪癒やされたい≫

東京・吉祥寺の猫カフェ「きゃりこ」では1日約60人が来店し、猫と遊びながらお茶を飲み、リラックスした時間を過ごす。仕事帰りに猫に癒やされたい人が立ち寄ったり、レジャーランド感覚で過ごしたりしているという。

「1歳にもならない子猫ばかりなので成長を楽しみに見守るお客さまが多い。子猫は好奇心旺盛で、よくじゃれるので楽しんでもらっています」と福井隆文店長は話す。

「ペット禁止というマンションの規則や、1人暮らしのため猫を飼えない猫好きな人が多く、来店者の7割ほどが猫を飼っていない」(福井店長)。

料金は基本30分で500円(1ドリンク付き)、土日祝日の基本は1時間1000円(同)で、10分延長につき120円(全日)となっている。

≪チェーン展開も≫

名古屋市中区の「猫のまほう」は、午前11時半から翌朝午前5時半まで営業している。名古屋最大の繁華街、栄地区にあるため明け方まで客足は途絶えない。「昼間は家族連れも多く子供が保護者に連れられてやってくることも珍しくない」という。神戸や広島から訪れる猫好きもいるため、加盟店を募集しチェーン展開する計画だ。

大阪市北区にある「猫の時間」は、日本で最初に誕生した猫カフェ。ペット美容室を営む吉田陽子さんのネコ好きが高じ、「家で猫を飼えない人たちが、猫と気軽に触れ合えるスペースを作りたかった。それに、自分自身が癒やされる空間がほしくて…」と04年3月に開業した。

≪競合よりも仲間≫

モデルとなる店がなく、手探りでのビジネスだったが、店のうわさは口コミで広がり、休日には1日100人が来店する繁盛に。入店人数を制限したところ行列ができるようになったので、05年に拡張し夜の営業も始めた。

店内にはソファやテーブル、マッサージチェアを置き、自宅にいるかのような雰囲気にし、子猫から9歳の長寿猫まで23匹が客を迎える。

「猫カフェが全国的に広がり、どういうところなのか説明しなくてもよくなった。猫カフェが猫ブームの火付け役になるかもしれない」と吉田さん。同様の店が増えてきているが競合するというよりも、仲間が増えているという意識のようだ。
(FujiSankei Business i. 2007/9/22)
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posted by 猫ニャン at 04:15 | Comment(0) | TrackBack(1) | 猫族

猫の気持ちがワカルための学校だって!






ほんとかね。というところですが、授業料次第では猫好きの関心を惹く試みには違いありませんね。
願わくば受講後の生徒さんたちの忌憚ない感想が聞きたい、というところです。

商魂だけが上回っていては永続きしないでしょうが、中身に効能と独自性があれば下手な学習塾より必要なものかもしれません。
だいたいこの分野はほとんどミステリーに閉ざされていますから、潜在ニーズは大いにあるはずです。


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posted by 猫ニャン at 15:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

ゴールデン・ウイークは猫族に見習って
人混みを避け安穏をむさぼろう!





ニャンくんと共に過ごしていると、時間はゆっくりと流れて心地よい。
ゴールデンウイークも人混みに揉まれるより、ニャンくんの時間の流れに見習うほうがずっといい。

近所迷惑な、決してマナーは携帯していないケータイと、小うるさいウォークマンとも出会わなくてすむ。電車の座席に一気に体重を預けてまわりは飛び上がらんばかり、シーソー台に早代わり、どこが社会的動物やねん!
くらぶるになんと静かでつつましきニャンくんと異なることよ。わがまま猫2.jpg

気配さえ漂わせずいつのまにかまあるくなってスヤスヤ。ココと思えばまたアチラ。邪魔にならないこと人間族とは大違い。余分な口は聞かず、必要最低限のご要求があるのみ。爪の垢でもばら撒きたいようなもの。

人より耳ざとく危険も早く察知するから大げさなほど物音にびっくりしたり、スワ一大事とばかりに身構えたりもすることもあるけれど、人からは臆病に見えるそのことも吾輩には雑駁な人間族を見ていると、デリカシイにしか映らない。
そう、デリカシイなどということばも昨今の人間族より、多くの他の動物にこそ見られる特徴である。

近頃の人間族の起こす鈍感な事件のさまざまは枚挙に暇がなく、すべて欲に駆られた浅ましき事件ばかり、増える一方、元始、人は陽に目覚めて、永き歴史の中で知力と徳性も覚えたはずだったろうに。くわばらクワバラ。
そう、浅ましいということばも人間族にのみふさわしい独自の現象だ。
どこをつついてもニャンくんより優れた部分があるとはなかなかに見出しがたい雑踏よなあ。ニャ〜ン!


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posted by 猫ニャン at 08:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫族

わがままだからこそ猫、だから好き!
召使みたいな猫なんて〜ぞぉーッ!




わがまま猫3.jpg言うことをきくからイイなんていうのは児戯に類すると思ったかどうか、わがままは猫の特性、わがままだから好き、猫族の内なる生活と意見……。
もう顔の表情だけでもきかん気、ふだんは世話になろうがなるまいがどこ吹く風の唯我独尊、時にスリスリはすれども徹底したTPOの心得かた、とても人間族の真似のできることではない。

わがまま猫4.jpg得手勝手と言っても、それがどうした、ワイはネコじゃ、悪いか、放っといて!と歯牙にもかけぬがオチじゃろう。ワイが生きる。ワイの人生や。これが徹底しているのがネコ、偉いのである。
中途半端なわがまま振りではないのである。しかもその上、我慢強い。鬼に金棒である。しかも無意識家である。こともなく何事もなきが如く、終始その姿勢である。だから、強い。勁いと書くべきかもしれない。
政治的に右顧左眄する人間など、恥ずかしいだけのものである。

わがまま猫7.jpgわがままを矯正しようとするのは人間が社会的動物だからなのであろう。だからといって、わがままが<悪>と誰が決めたんや。猫には猫社会なるものはない。人間社会の邪魔になるのはたいがいその元は人間が作りおる。猫のせいやない。そんなわけでいつも猫は独立不羈、なにものにも毒されん、ちゅうわけや。
ここのところ、大事なところや。人間はあれこれ毒されるものが多過ぎよるけん、距離を持ってつきおうちょるわけでもあるんや。
ちとデリカシイが違うんやなあ。

わがまま猫.jpgそこのところ判ってほしいんやなあ。ダイヤモンドやエメラルドやルビーみたいな瞳で、静かに人間界見とるんは伊達やない。わがままなんは人間の猛毒、寄せつけん為でもあるんや。
なぜ猫族がわがままでなければならないか……それは、人間族がいるからや。
そういうわけでおます。感心するわ。けなげなもんや。

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