海に包まれたドライブウェイ!




キーウェスト10.jpgTVも今のようにチャンネルが多いと、連続ドラマでもなければもはや落とすことなく観たい番組をキャッチすることなど不可能、偶然の僥倖にゆだねられる。そんなたまたまで拾ったのがキーウェストの風景満載の1時間番組。

なにしろフロリダから西南へ、点々とする島々を縫うようにドライブウェイが海の上を走って、その南端がキーウェスト、是非とも車を走らせたい理想のドライブウェイ。なにしろ海に包まれたドライブウェイを抜けるとキーウェストなのだ。

キーウェスト9.jpgキーウェストと、聞いただけでヘミングウェイが想起されるほど切っても切れないし、その残された猫が子孫を増やし、今もその記念館の住人として徘徊する、映像だけでも観るからに南の空気が心地よさげな垂涎の地、目を凝らしなおしてみた。

まあ旅行社のCMも兼ねた番組なのだが、あらかじめ知っておれば永久保存版の内容、右下の写真はピカソがヘミングウェイに贈った猫の画像、鮮明映像が伝えるのはその主だった作品のほとんどをこの地で書いたというヘミングウェイの足跡。

キーウェスト6.jpgもともとは新車の到着のためにその地で待機、それが遅れたせいで長逗留、その間にすっかりその風土を気に入りその後の永きにわたる滞在地となったというが、趣味多彩のヘミングウェイだから、落ち着いてばかりもいなかったろうが、海そのものがもはや舞台の地、心躍り執筆にも気の入る聖地ではあると合点の案内。

キーウェスト7.jpgしかも猫である。半分は6本指の猫がその子孫であることを明かすが、海と猫、島と猫、温暖な南に猫とは、地中海の島にも同様、風物詩ではある。ヘミングウェイの時代にはなかったドライブウェイ、新車の到着は船だったのか、飛行場は既にあったのか想像もめぐらせて、悠久の時を生きるがごとき猫がさらに夢を馳せる。目に供養の1時間ではあったなあ。

理想的なのはマイマミからレンタカーをして、片道をキーウエストまでドライブし、キーウエストで何泊かした後、帰りキーウエストからフライトで日本に戻るという経路という話ではあるが……。
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posted by 猫ニャン at 09:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫と芸術家たち

猫本も猫グッズの白眉、
いかなる猫認識?と、渉猟して見る!




漱石はさほど猫好きではなかった。むしろ弟子筋の寺田寅彦が不惑を過ぎて猫に惑溺していったというのである。「吾輩は猫である」に水島寒月なる理学博士が登場するが、これ寺田寅彦がモデルで、このモデル当時はまだ作中のような猫好きではなかった。むしろ実際に猫と共に暮らすのは不惑を過ぎ、そのそれぞれ個性があるのに驚き、日々猫にまつわる発見を随筆に記した。

作家の猫.jpgというようなことを知れるのは平凡社の作家と猫のアルバム「作家の猫」(「作家と猫」という類似名本があれど、そちらは雲泥)によってである。
猫本も猫グッズ、中でもスグレ猫本がコレ。
この猫本の白眉、一時は楽天ブックスに品切れ、それもその筈ようやく手にして驚いた。垂涎とはこのこと。
あまたの知性の猫への惑溺、寺田寅彦に限らない。人間のことなどハナから訳知りに顎で知れてしまう猫の、眠りながらでも魅きつける愛らしさが、鬱勃と写真と行間から立ち上がる。⇒ 作家の猫

猫ってかくも嬉しき優雅な生きもの!天使の降臨〜猫暮らし.jpgわが猫本もまたその初猫子猫時代にほぼ書き上げられたものを、改めて編集、不惑を過ぎていたかどうかは内緒であるが、いま読み返しても、もう手放しである。他人には阿呆、猫にはマイ・サーヴァント、吾輩にはただただ天使、その体たらくをあえて巷間に投げ出すといった次第。

猫ってかくも嬉しき優雅な生きもの!天使の降臨〜猫暮らし」という、タイトルがそもそも狂っておる!
その猫の魅力を冷静を取り戻しつつ少しも冷静ではなく、常軌を逸した一文。或いは第2弾!もあるかもね。
これにぴったり来ることばは……まるで映画のようだ……かもしれない。但し、悲喜劇。
⇒ 猫ってかくも嬉しき優雅な生きもの!天使の降臨〜猫暮らし

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タグ:作家の猫
posted by 猫ニャン at 13:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫と芸術家たち

作家たちの猫好きアンソロジー!




漱石はさほど猫好きではなかった。むしろ弟子筋の寺田寅彦が不惑を過ぎて猫に惑溺していったというのである。
「吾輩は猫である」に水島寒月なる理学博士が登場するが、これ寺田寅彦がモデルで、このモデル当時はまだ作中のような猫好きではなかった。むしろ実際に猫と共に暮らすのは不惑を過ぎ、猫の、それぞれが個性溢れるのに驚き、日々猫にまつわる発見を随筆に記した。

猫ってかくも嬉しき優雅な生きもの!天使の降臨〜猫暮らし.jpgというようなことを知れるのは平凡社の作家と猫のアルバム「作家の猫」
によってである。まぎらわしい「作家と猫」というのもあるが、横綱と幕下の差。お間違い無きよう、そちらは柳の下のドジョウ本である。

この猫本の白眉、一時は楽天ブックスに品切れ、それもその筈ようやく手にして驚いた。垂涎とはこのことである。
あまたの知性の猫への惑溺、寺田寅彦に限らない。人間のことなどハナから訳知りに顎で知れてしまう猫の、眠りながらでも魅きつける愛らしさが、鬱勃と写真と行間から立ち上がる。

わが猫本もまた、その初猫子猫時代にほぼ書き上げられたものを、改めて編集、不惑を過ぎていたかどうかは内緒であるが、いま読み返しても、もう手放しである。他人には阿呆、猫にはマイ・サーヴァント、吾輩にはただただ天使、その体たらくをあえて巷間に投げ出すといった次第。

猫ってかくも嬉しき優雅な生きもの!天使の降臨〜猫暮らし」という、タイトルがそもそも狂っておる!
その猫の魅力を冷静を取り戻しつつ少しも冷静ではなく、常軌を逸した一文。或いは第2弾!もあるかもね。
これにぴったり来ることばは……まるで映画のようだ……かもしれない。但し、悲喜劇。

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タグ:猫本
posted by 猫ニャン at 16:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫と芸術家たち

マーク・トウェインの知る
猫の堕落!とは?






マーク・トウェインと言えば、トム・ソーヤか、ハックルベリーと相場は決まるし、あのヘミングウェイも、アメリカ文学の源と評する。だがもうひとつの重要な側面、それが猫とマーク・トウェインなのである。

マーク・トウェインは、猫界ではまさしく聖域の偉人である。
それを証すことば、それが 「もし、人間と猫を交合させて新しい動物をつくることができるとするなら、その結果、人間にそれは改良となるが、猫にはいちじるしい堕落となるだろう」 である。

それ以外にも多くの箴言がある。
●自分が多数派の側にいると気づいたら、もう意見を変えてもいいころだ。
●人生の前半は活力があるのにチャンスがない。人生の後半はチャンスがあるのに活力がない。
●成功の秘訣は、職業をレジャーとみなすことだ
●人間とは、一週間の仕事が終わり、神様が疲れた時に作られた生き物。

マーク・トウェイン2.jpgさらには、『ひどい扱いをすればするほど、犬は従順になる。しかし、猫に同じことをしたら、二度と信頼を回復することはできないだろう』 というのもある。
ここまで引用を果たせば、ほぼこの稿の任は果たしていることとなる。
猫は人間の観察者として、超一流ということである。

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posted by 猫ニャン at 16:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫と芸術家たち

ズバリ「キャッツ」と言えば、
ポッサムおじさん!T.S.エリオット!




T.S.エリオット.jpgまことに調べてみると、猫愛好作家は枚挙に暇が無い。
これはなぜかというに、職業的にも猫と共に過ごす時間を保てるからというのがひとつ、だからこそその美点を感覚的に把握し、しかも知性的に理解できるからだろうと、合点いたす次第。

ポッサムおじさんの猫とつき合う法今回はご存知、ミュージカル「キャッツ」の原作者にして詩人T.S.エリオット(1888〜1965)、おそらく当の猫に関する書物「キャッツ」=『ポッサムおじさんの猫とつき合う法』
は、全詩業の中でも余技に過ぎないものなのかもしれないとも想うのですが、演出トレバー・ナン、作曲アンドリュー・ロイド=ウェバーがミュージカルに仕立てることによって、もっともポピュラーな猫の聖典たる位置を獲得したものと言っていいのではないかと思われます。

その内容は年に一度開かれる猫たちの<ジェリクル舞踏会>において、天上の新しい生命を獲得できる猫を一匹選出する長老猫たちのジェリクルリーダーに、自らの生き方を展開するジェリクルキャッツたちの歌と踊りで見せる舞台なのですが、この生き方、というところがいかにも猫好きの目の向くところではないでしょうか。

猫とトッポジ−ジョこれは猫好きでなければわからぬ、猫の生き方に惚れて猫好きになるその核心が主題になっていると言ってもいいのでありまして、それぞれ説明をすると煩雑ですのではしょりますが、親分猫グロウウルタイガー、泥棒猫マンゴジェリーとランペルティーザー、魔術師ミストフェリーズ、犯罪王マキャヴィティ等、その命名はいささか擬人化的ではあるにしても、猫の個性的な仕訳としてはこれも合点のいくところ。

しかし猫の視座、視点はここにまぎれもなく、ゆくりなく開陳されているわけで、この猫詩は音読してこそ、しかも猫好きでこそ味わい百倍というところかも知れない。
因みにポッサムおじさんとは、エズラ・バウンド(同時代の同じく詩人)がトマス・スターンズ・エリオットにつけたあだ名のようで、そのポッサムおじさんは'48年長詩「荒地」を軸としてノーベル文学賞を受賞している。

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posted by 猫ニャン at 17:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 猫と芸術家たち

誰が為に鐘は鳴る?
それは猫のためやったん!




ヘミングウェイイギリスにT.S.エリオット(次回)、フランスにポール・レオトーありせば、アメリカの猫好き作家は、アーネスト・ヘミングウェイ(1899〜1961)をまず掲げたい。

この行動的でハードボイルド文学の嚆矢ともなり、闘牛や狩猟や祭りが好きで、スペイン内乱や大戦にも積極的に関わり、その成果ともいえる作品を残した男性的な作家が猫好き?とご存知ない方は思うかもしれない。

その遺品や記録の残されたバハマのビキニ島にあるヘミングウェイ博物館は昨年(2006)火災により消失、アメリカ最南端のフロリダ州キー・ウェストにヘミングウェイ記念館があるが、そこにはヘミングウェイの愛猫の末裔たちが増え続け、60を超す数となって猫屋敷の趣である。

ヘミングウェイ-猫ベティ・デイヴィスその猫たちの写真集といっていいのが「HEMINGWAY 65 CATS」(小学館)である。         
引用した写真はいずれもこの本に拠るが、右の写真の猫はベティ・デイヴィスというのである。もっともヒゲの立派な猫という。巻中 65 CATS WHO'SWHO にはそんな風に女優男優画家作家歌手といった著名な名前がこの末裔たちに名づけられているのである。もうひとつがドリス・デイ。

もともとヘミングウェイの小説のヒロインはなかなかに猫的魅力があり、「武器よさらば」のキャサリンを筆頭に、「誰が為に鐘は鳴る」のマリア、「日はまた昇る」のブレットはその代表的なヒロインであるだろう。ヘミングウェイ-猫ドリス・デイなかでもマリアはいかにも猫的な女性として描かれていて、その映画化版「誰が為に鐘は鳴る」のイングリッド・バーグマンのマリアもショートカットのヘアも素敵で、ヘミングウェイの映画化では白眉といっていい出来である。
ずばり猫を中心にすえた短編「雨の中の猫」もある。

ヘミングウェイは1954年ノーベル文学賞を受けているが、筆者にはやはり「武器よさらば」の究極の愛、キャサリンの姿が忘れがたい。しかもヘミングウェイの描く女性はどこか距離感というか、そのイメージに湿りがないのが心地よい。(この感覚がニャンくんとの感覚・呼吸!である)
因みにヘミングウェイ記念館の猫にはケーリー・グラントもいれば、ジョン・ドス・パソス、パブロ・ピカソ、ジェニファ・ジョーンズ、トルーマン・カポーティ、マリリン・モンローもいるのである。
ヘミングウェイ死してなお、猫爛漫!

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posted by 猫ニャン at 14:23 | Comment(0) | TrackBack(2) | 猫と芸術家たち

知る人ぞ知るポール・レオトー!
稀代の猫暮らしの大家!





ポール・レオトーいま知る限り、これほど沢山の猫を飼い世話をした文学者は古今まれと言ってもいいだろう。それは自らの屋敷に百匹近い猫を飼い、リュクサンブール公園に棲息する猫の世話も日々怠らなかったほどの愛護精神、それは猫に限らず飼育するあらゆる動物にも及んでいたというから驚きである。

その名は、ポール・レオトー。不幸にして日本では充分に人口に膾炙しているとは言えない。しかもそのほとんどはきわめて永きに渡る日記文学で、翻訳もほとんど無い……に等しい。
しかし若きときよりこのポール・レオトーの引用をたび重ねて目にし、堀口大学による抄訳にも親しみ、その女性への忌憚の無い、正確な箴言風のことばはなかなかの含蓄であった。フランスではポール・レオトー賞という文学賞があり、その何回目かの受賞者が動物愛護運動でも名を馳せたブリジット・バルドーで、その作品は「イニシャルはBB」=バルドー自伝である。
バルドー自身が極めて猫的、いや猫ではないかと怪しむくらいである。
  
ポール・レオトーの肖像/イニシャルはBB同じフランスではさらに本好きでも知られるフランソワ・トリュフォーは、自作で愛読書を
<出演>させることでも、知る人ぞ知る趣味ともいえるが、ポール・レオトーはアントワーヌ・ドワネル/シリーズの「家庭」でその著書を
<出演>させていて、改めて嬉しくなったものである。

しかしポール・レオトーがそんなに猫好きであったというのを知るのはわが愛猫と同居するようになってからで、それは同じその時期に「ポール・レオトーの肖像」という評伝が奇しくも発売されたからである。それはまこと天啓というべきタイミングであった。以下は松浦寿輝氏の書評(読売2001・10・21)抄録である。

  この不思議な人物をいったいどう形容したものか。
  歯に衣着せぬ毒舌の劇評で畏(おそ)れられ、
  また煙たがられていた鋭利な時評家。
  雑誌に載せた小説を単行本化すればゴンクール賞
  間違いなしと折り紙をつけられても、
  書き直しが必要だとのらりくらり逃げつづけ、
  死ぬまで本を出さなかったへそ曲がり。
  街路で拾ってきた何10匹もの犬猫をひたすら愛した偏屈な独身者。
  小説家プルーストや詩人ヴァレリーとほぼ同い年のレオトーは、
  この2人のように輝かしい傑作で文学史に名を残したわけではない。
  彼が選んだのは、メルキュール社の編集者として
  パリ文壇の人間模様をじっと見つめ、
  そこでの観察を辛辣な皮肉とともに膨大な日記に記録しつづける
  という生涯である。

トリュフォー「家庭」そこにはむろんレオトーを翻訳した著者の引用も数多くあって、レオトー撰文集の趣もあるのだが、なおさらどうしても1冊でもいい翻訳書を読みたい願望がいや増し、ネットで古本を漁って発見し求めたのが、新潮社が'73年に刊行した「禁じられた領域」であった。これがまた端倪すべからざる性愛日記で、女性と恋愛についての明晰な箴言や警句の源はここにあったかと、巻を閉じたのである。
母親との確執、アンヌ・ケーサックとの性愛、まこと恐るべき執念の観察と記録の偏屈偏執の文学者である。猫好きも、とてもなまなか尋常一様ではない。
しかもこの恐るべき猫好きは20世紀中頃(1872〜1956)まで同時代人だったのである。

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posted by 猫ニャン at 13:04 | Comment(0) | TrackBack(1) | 猫と芸術家たち
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